国際問題

インフルエンサー人気に伴う悲劇的代償―犯罪の美化が暴力を助長する構造

TikTokをはじめとするSNSは、犯罪組織が新たな構成員を勧誘し、自らの活動を美化する格好の温床となっている。

2025年8月5日、ベルギー・ブリュッセルで撮影されたこのイメージ写真では、スマートフォンの画面にTikTokのロゴが表示されている。[ジョナサン・ラー/ヌルフォト(AFP配信)]
2025年8月5日、ベルギー・ブリュッセルで撮影されたこのイメージ写真では、スマートフォンの画面にTikTokのロゴが表示されている。[ジョナサン・ラー/ヌルフォト(AFP配信)]

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豪華な高級車、ブランド品、派手なライフスタイルがフィードを席巻するインフルエンサーのきらびやかな世界―その裏側には、暗鬱たる現実が潜んでいる。

ユニビジョンおよび『ラテン・タイムズ』の調査によると、2017年から2025年にかけて、メキシコではインフルエンサーを標的とした殺人事件が相次いで発生している。

こうした殺害事件はシナロア州、ハリスコ州、バハカリフォルニア州などに集中しており、犯罪的なライフスタイルを美化したり、それに関与したりすることの致命的な代償を浮き彫りにしている。

TikTokをはじめとするSNSは、犯罪組織が新たな構成員を勧誘し、自らの活動を美化する格好の温床となっている。

メキシコ・コレヒオ(エル・コレヒオ・デ・メヒコ)が今年4月に発表した「暴力と平和に関するセミナー」の調査によると、勧誘やプロパガンダ、違法活動に関与するTikTokアカウントが100件以上も現役で活動していることが明らかになった。

ハッシュタグや絵文字、話題の音楽、派手な映像を駆使して、ハリスコ新世代カルテル(CJNG)やシナロア・カルテルなどの組織が若者を自らの勢力に引き込んでいる。

こうしたアカウントはしばしば、犯罪にまみれた生活を華やかに演出し、富・権力・帰属感といった甘い誘いを若者に提示する。動画には高級車や武装した人物が登場し、カルテルの指導者とその「武勇伝」を称えるナルコ・コリード(麻薬賛歌)が流れる。

知名度を求めるインフルエンサーにとって、こうしたイメージを借りることは閲覧数やエンゲージメントを高める手段となり得るが、同時に、忠誠と裏切りが生死を分かつ世界において、自らを標的にしかねない危険もはらんでいる。

SNSを介した勧誘

調査によると、カルテルはTikTokを勧誘ツールとして体系的に活用しており、訓練・住居・高収入をうたった架空の求人をアカウント上で広告していた。

ハリスコ新世代カルテル(CJNG)の指導者「エル・メンチョ」や、シナロア・カルテル内のホアキン・「エル・チャポ」・グスマン派を表す絵文字が、犯罪組織への所属を示す暗号として使われていた。

女性もまた標的とされており、シングルマザーや学生向けに「支援」をうたうアカウントが、犯罪を経済的安定への手段として提示していた。こうした戦術は若者たちの弱みにつけ込み、暴力と搾取の連鎖へと引き込んでいる。

インフルエンサーにとって、犯罪組織への称賛と関与の境界線は、危ういほどに薄い。

殺害されたインフルエンサーの多くは、音楽やハッシュタグ、映像などを通じて、明示的あるいは暗示的にカルテルのイメージと結びついていた。その後、彼らは抗争に巻き込まれる形で命を落とした。こうした事件は、カルテルが巨大な力を握り、暴力が支配の手段となるメキシコにおいて、犯罪的なライフスタイルを美化することの危険性を浮き彫りにしている。

こうした殺人事件は、カルテルによるプロパガンダが社会全体に及ぼす深刻な影響も浮き彫りにしている。オンライン上で暴力や犯罪行為を「日常化」する物語が広がることで、社会的規範が侵食され、カルテルはより容易に新たな構成員を勧誘し、勢力を拡大している。

カルテル関連コンテンツのSNS上での拡大は、緊急の対応を迫っている。TikTokなどのプラットフォームは、犯罪的なプロパガンダの拡散を防ぐため、コンテンツ審査体制を強化しなければならない。同時に、家庭や学校、地域社会も連携し、若者に対してこうしたコンテンツに関与するリスクをしっかりと伝え、啓発を進める必要がある。

インフルエンサーにとって、名声への誘惑は、犯罪的なライフスタイルを美化することに伴う危険性を十分に理解したうえで抑えられるべきものだ。その関与がもたらす代償は個人にとどまらない。それは社会全体に及ぶものであり、暴力と搾取の悪循環を助長するからである。

メキシコで相次ぐインフルエンサー殺害事件は、犯罪を美化することの代償がいかに深刻かつ致命的であるかを、暗い形で私たちに突きつけている。SNSは自己表現の強力な手段である一方で、カルテルが新たな構成員を勧誘し、人々を操り、その影響力を広げるためのプラットフォームともなっているのだ。

エンターテインメントと犯罪の美化の境界が曖昧になるなか、こうした物語に抗う責任は、個人、地域社会、そしてプラットフォームに等しくある。名声が、安全の犠牲や暴力の「日常化」を代償として得られるものであってはならない。

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