国際問題

NTVからRossia Todayまで:ロシアは電波を政治利用

クレムリンは20年かけて、ロシアのメディアを権威主義的支配とハイブリッド戦争の道具に変え、ジャーナリストを沈黙させ、世界的な物語を形作ってきた。

2005年9月27日、クレムリンでロシアのテレビ局「チャンネル1」のキャスター、エカテリーナ・アンドレーエワ氏(左)と会話するウラジーミル・プーチン大統領。[Vladimir Rodionov/AFP]
2005年9月27日、クレムリンでロシアのテレビ局「チャンネル1」のキャスター、エカテリーナ・アンドレーエワ氏(左)と会話するウラジーミル・プーチン大統領。[Vladimir Rodionov/AFP]

筆者:オルハ・チェピル |

2000年にウラジーミル・プーチンが大統領に就任したとき、ロシア人はまだチャンネルを切り替えて、生放送で政府を非難する番組を視聴することができた。1年も経たないうちに、その時代は終焉を迎えた。クレムリンが最初に狙った大きな標的は、当時、国内最大の独立系テレビ局NTVだった。

「NTVは破壊され、そのオーナーである(メディア王、ウラジーミル・)グシンスキーは、追放された。2000年代以降、ロシア国家は徐々にメディアを独占するようになった」と、ロシア当局から外国代理人とレッテルを貼られた亡命者である社会学者イゴール・エイドマン氏は述べた。

2001年までに、政治的、財政的な圧力により、このチャンネルは国営放送となった。

プーチン大統領は、偽情報と戦うという名目で情報をフィルタリングすることを目的とした概念である「統一情報空間」の創設に動いたと、ウクライナの政治学者イーホリ・チャレンコ氏は述べた。

2001年4月6日、モスクワのNTV事務所の階段でガスプロム幹部との会談に先立ち、メディアの取材に応えるNTV局長エフゲニー・キセリョフ氏。[Alexander Nemenov/AFP]
2001年4月6日、モスクワのNTV事務所の階段でガスプロム幹部との会談に先立ち、メディアの取材に応えるNTV局長エフゲニー・キセリョフ氏。[Alexander Nemenov/AFP]

実際には、これによりクレムリンは強制的な所有権移転を通じて支配力を強化することができた。ORTは大統領府が運営するChannel Oneに、NTVは国家と密接な関係にあるGazprom-Mediaに吸収された。

「彼らは、テレビ局(NTV)が2億ドルから3億ドルの巨額の負債を抱えていることを理由に挙げていた。しかし、実際には、それは公的な粛清だった」とチャレンコ氏は言う。

国家は、TV-6、TVS、RIA Novostiなどの他の報道機関を解体または吸収し、地方のジャーナリズムを取り締まった。そして、政府の方針を強調する、忠実なジャーナリスト集団(クレムリンプレスプール)が出現した。

「大規模な台本付きリアリティ番組」。ピーター・ポメラントセフ氏は2014年の著書「Nothing Is True and Everything Is Possible」の中で、プーチンが構築していたロシアをそう表現した。

国家は独立系メディアを掌握したと「自由ロシア軍団」に所属したジャーナリストであるアレクセイ・バラノフスキー氏は述べた。

「独裁主義をもたらしたのは、独立メディアの崩壊ではなく、チェキスト(KGB)国家の台頭であり、それがメディアをプーチンのファシスト体制に組み込むことにつながった」と同氏は述べた。

戦略としてのプロパガンダ

2000年代、クレムリンは言論の自由に対する組織的な攻撃を開始した。このキャンペーンは、メディアの所有権の変更を強制し、編集スタッフを一掃し、インターネットに対する法的規制を強化するという3つのアプローチで進められた、とチャレンコ氏は述べた。

「わずか10年間で43人か45人のジャーナリストが殺害された。彼らは戦争の犠牲者ではなく、政治的に暗殺された」とチャレンコ氏は述べ、2006年のアンナ・ポリトコフスカヤ氏の殺害を転換点として挙げた。

Novaya Gazetaのジャーナリストで、プーチンを激しく批判するポリトコフスカヤ氏は、第二次チェチェン戦争に関する報道で知られていた。彼女は2006年10月7日、プーチン大統領の誕生日に、モスクワの自宅アパートで銃撃され死亡した。この殺人事件の首謀者は現在も特定されていない。

「プーチン大統領は大統領に就任すると、ロシアの言説に対する支配権を再確立するために迅速に動いた」とエイドマン氏は述べた。

その支配はロシアの国境を越えて広がった。2005年、クレムリンは英語のニュースチャンネル「Russia Today」を立ち上げた。このチャンネルは、すぐに世界的なプロパガンダ機関となり、2009年に「RT」と名称を変更した。

「2014年以降、Russia Todayは影響力行使の道具に変わった。単なる影響力ではなく、ロシア情勢やロシアが行っている戦争について、国際社会に偽情報を拡散する手段となった」とエイドマン氏は述べた。

アナリストたちは、RTは、2008年のグルジア戦争、次いで2014年のクリミア併合、そして2022年のウクライナ全面侵攻で、ロシアのハイブリッド戦争において重要な役割を果たしたと述べている。このメディアは、反西側的な言説を宣伝し、陰謀論を広め、事実を曖昧にしている。

「(RTの)予算は、世界中で拡大している。彼らは多くの偽情報を生み出し、通常の情報を覆い隠してしまう」とチャレンコ氏は述べた。クレムリンは第二次チェチェン戦争中にその戦略を洗練し、グルジアで改良し、ウクライナで再利用したと同氏は述べた。

モスクワは、2008年のグルジア侵略をめぐる言説をコントロールできなかったことから学んだ、とバラノフスキー氏は述べた。

「そして国際的なプロパガンダに積極的に投資し始めた」と同氏は述べた。「数十億ルーブルもの資金が、RTと、ヨーロッパ人を『洗脳』するために使われた」

システムとしてのポスト真実

2012年までに、クレムリンの情報統制は、テレビを超えてインターネットや学校にまで広がった。「主権民主主義」という、名ばかりの民主主義的教義が、政治に対する隠れ蓑を提供した。バラノフスキー氏によれば、その戦略は明確だった。

「テレビのプロパガンダは、社会的に弱い立場にある人々、つまり因果関係を確立できない人々に向けられている」と同氏は述べた。さらに、子供たちは早くから洗脳されていると付け加えた。「子供たちは学校、幼稚園、教育マニュアルを通じてゾンビ化されている。(この方針によって、)彼らを将来の戦争のためにプログラムしている」

反体制派、独立系編集者、いわゆる「外国代理人」に対する弾圧は2012年以前から行われていたが、デジタル監視によってさらに強化されている。政府はウェブサイトをブロックし、ブロガーを起訴し、オンラインの「いいね!」を法的証拠として使用した。

ロシアのプロパガンダ担当者は「(2008年の戦争の物語をコントロールしようとした)グルジアで失敗し、ポスト真実の時代に賭けた。今では、現実を覆い隠すほど多くの嘘をついている」とバラノフスキー氏は述べた。

当初、多くのロシア人はメディア弾圧による広範な影響を理解していなかった。

「人々は、(オリガルヒのボリス・)ベレゾフスキーとグシンスキーの対決だと思っていた。これが独立系ジャーナリズムの徹底的な粛清であることを、人々は理解していなかった」とチャレンコ氏は述べた。

クレムリンは、ロシアのナショナリズムを地政学的なツールとして利用し、それを近隣諸国に圧力をかけるためにロシア国外に広める一方で、国内では制限していた。

「ロシア国内では、ナショナリズムはその(野暮ったい古着の)形でしか存在できない」とバラノフスキー氏は述べた。

「実際に、(国内ナショナリズムは)分裂した。一部のナショナリストは反プーチン派に加わり、ウクライナ側で戦っている」

2000年から2013年の間に構築されたシステムは、現在、戦争、抑圧、世界的な偽情報拡散を煽っているとアナリストたちは指摘している。ロシアのプロパガンダは、何十もの国で放送されている。

「クレムリンは、人々が何を見るか、何を聴くか、どのような情報を消費するかをコントロールしている。結局のところ、情報領域は独裁政治を強化するための不可欠な要素だ」とチャレンコ氏は述べた。

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